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■鹿児島の名所■ 

■鹿児島の地域紹介    (加治木町)

精矛神社(鹿児島県姶良市加治木町日木山311) 地図
  
■平成19年11月23日取材  さだひろし
 
この神社は、島津17代義弘公を祀っています。

 義弘は天文4年(1535)、第15代貴久の次男として吹上の伊作亀山城で生まれ、幼少年期は、伊集院の一宇治城で育ちました。将軍足利義昭から、「義珍(よしたか)」と名前を賜り、後に義弘と改めました。

 天文23年(1554)、大隅合戦と呼ばれる蒲生・祁答院・入来院の連合軍との戦が始まりました。義弘はこの時、重富・岩剣城の戦いを初陣とし、以降66歳までに五十数回の戦を経た天下の名将でした。特に関ヶ原の戦いでの適中突破「島津の退き口」はあまりにも有名です。

 慶長12年(1607)、今の加治木高校・柁城小学校一帯に屋形を造って移り住み、元和12年(1607)、84歳でこの世をさるまで12年間加治木で仁政を施しました。

 明治2年、終焉の地に神社を造営し、神号の精矛厳健雄命(クワシホコイズタケヲノミコト)から精矛神社としました。その後、大正7年(1918)10月1日、没後300年に当たり、現在地にあらたに造営遷座しました。

 義弘は道徳や学問の奨励・産業振興などを行い、今でも「太鼓踊りやくも合戦・加治木饅頭は義人公に由来する」と言われるように広く敬愛され、毎年武道・郷土芸能などが奉納されています。 (加治木町教育委員会)

現在の精矛神社は、島津義秀さんによって守られています。
島津義秀さんは、加治木島津十三代目当主になる方で、薩摩びわの奏者としても有名です。
又、薩摩の秘剣―野太刀自顕流 を執筆し、薩摩の文化伝承や歴史研究に力を注いでいます。
↑クリックすると拡大します。 入り口の鳥居
入り口の大銀杏 本堂

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    ←左は石灯篭の中に置かれた
蓮華型の蝋燭立です。
   
神社入口の表参道:↓

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