【鹿児島の自然遊歩道シリーズ】 歴史の道!東目筋 「大口筋・白銀坂」TOPへ)

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●平成18年5月4日、ゴールデンウイークの真中でもあり、早朝から清々しい晴天でだったので、兼ねてから念願だった白銀坂の散策を思いついた。家内に一緒に歩いてみないか?と誘うと、すぐさま承知の返事が返ってきたので、お昼におにぎり弁当でも食えるような時間に出発する事にした。

 午前10:00時、車で白銀坂入口まで行ってそこから歩く事にした。私の自宅は吉野から続く滝之神隼人線の名残が残っている牟礼岡の麓に有る牟礼岡団地に有るので、白銀坂入口までは歩いても15分程度と近いのですが、最近は少し運動不足でも有るのであまり無理をしないようにと、入口までは車で向かう事にした。

 牟礼岡自然遊歩道入口の登山道入口がある、島津の森付近は、牟礼岡遊歩道を上るために集まったハイカー達の車が、何台も路肩に停まっていたので避けながら少し走ると、島津ゴルフ倶楽部の入口とマッシーミニゴルフ入口へと続く道に分かれている。
 島津ゴルフ倶楽部の方へと右折して500m程の道沿いに、白銀坂入口が見えてきた。車を道端に寄せて止めてから、重富までの下りの工程を歩き始めた。
 坂の入口には「大口筋白銀坂」と書かれた、わりと真新しい石碑が立っている。そこからは不揃いの割石を敷き並べたような石畳が始まり、少し緩やかな下り坂の中央部分を蛇行して下りている。道の右左には杉の木が立ち並び、次第に深い森の中へと続いていた。

 ゆるいカーブの石畳の下り坂をしばらく行くと、近年たてられたような大きな看板が立っていた。そこに書かれた内容を読んでみた。(原文をそのまま書いてみた)

 ――――歴史の道「大口白銀坂」――――

 
白銀坂は、吉田町(現在は鹿児島市)牟礼ヶ岡から姶良町脇元までの石畳の残る旧街道です。

この坂のある山並みは、古代に於ける薩摩国(吉田町側)と大隅国(姶良町側)の国境でした。又、戦国時代には、姶良地方の領有をめぐって島津貴久義弘などの武将たちがこの坂に砦を構えたといわれています。

 江戸時代に入ると、白銀坂は鹿児島潘の主用街道である「大口筋」上の難所として多くの人々に知られていました。「大口筋」とは、鹿児島城下から吉野−吉田−重富−帖佐−加治木−横川−大口−「亀坂峠」(熊本県」まで全長約七〇キロメートルの街道をさします。宮崎へ向かう街道を東目筋とも言い、出水筋(現在の国道3号線沿い)は西目筋とも呼ばれました。
 江戸時代に書かれた「三国名勝図会」によれば、「白銀坂 脇元村白銀山中にあり、薩隅の大道にて、本府より行は、降坂なり、坂の長さ一里に近し」とあり、道のりは約四キロメートルであったことが分りますが、現在ではその内約二.七キロメートルの道のりが残っています。白銀坂は今でも昔の面影をよく残しています。
 江戸時代の鹿児島を代表する文学作品「大石兵六夢物語」では、吉野・吉田を舞台に主人公の大石兵六が活躍し、白銀坂も登場します。また、この一帯には周囲約二八キロメートルもある広大な潘営の吉野場牧がありました。毎年四月には、二歳馬をとる勇壮な馬追行事があり、城下からも多くの見物客がありました。

         ――――――――(平成十六年十月 吉田町教育委員会建立)――――――――
と成っていました。

 立て看板を読み終えてから、歩みを進めると次第に両脇の杉林が雑木林へと変っていく。石畳だった坂道は、ところどころに敷き詰められた階段状の道になったり、道一杯に敷き詰めた石畳になったりと、保存状態によっても様々で、歩くテンポも一様ではなく、なかなか楽しめる。
 まだまだ歩き始めて10分と経たないので、足取りも軽やかに歩きながら、右を見たり左を見たりと、黒々とした樹木の幹や梢と、新緑の若葉が織り成す経横の織物模様のような風景を観察しながら、一歩一歩と石敷きの坂道を下っていった。
 適当に間伐された杉山の道は、道の土手に太陽の光がよく届き、ところどころに草花が咲いている。控えめな白を基調にした草花の花は、清楚で可憐でけがれを知らない乙女の姿のようでもあった。

 ゴールデンウイークなので、何時もより行き交う人が多いらしい。普段着の老夫婦や山歩きの軽装をした壮年の男の人や、子供連れの若夫婦、学生さんらしい男性とその彼女らしい若い女性と、どちらかの両親といった親子連れ等‥。以外にもたくさんの人達と出遭った。
 麓の方から登ってきた人とすれ違うので、はあはあと息を切らせて、汗ばんだ顔を手ぬぐいで拭きながら、にっこり笑って「こんにちは。」と通り過ぎていく白髪の紳士がいた。こちらも「こんにちは。」と笑顔で答えた。
 次々にすれ違う全ての人と、軽い挨拶を交わしながら、石畳の少し急な坂道を降りて行くと、くすのきやクヌギやブナの木等の雑木林の森に入って行った。道が石畳から土へと変って、たくさんの広葉樹の落ち葉が道を被い尽くしていた。ムットするような緑の森のにおいと、腐葉土の甘い香りが辺りを包んでいた。

 道の途中、山から染み出す湧き水をすくって飲んだり、ところどころで立ち止まっては写真を撮ったりしながら平坦な道から少し登りに成ったところは、沢から涼風が吹き抜ける峠道のような場所で、雑木の隙間から姶良方面の風景が垣間見れた。しばらくすると突然、姶良や加治木を一望できる開けた場所に出た。

 もう山の中腹よりも少し下に位置するらしい。下りは意外と早く此処まで降りてきた。出発から約30分程が経っていた。
 ほんの少しの休憩を挿んで、また坂道を降りはじめた。それからの下り坂も幾分急な傾斜で、急げば15分程では重富に付きそうだったので、途中から脇道に入って、布引の滝を見に行く事にした。
 下に向かって左に向かう道で、丸太で階段を作った道がある。赤い野イチゴがここかしこに実っている。
 その道に始めは登り、山越えをしてその後は転がり落ちそうな下り坂に成っている。下りとは言っても、流石にその急な傾斜で、足がガクガクとし始めた。途中で拾った杖を頼りに、ようやくの思いで急傾斜の階段道を降りることが出来た。(最近の運動不足をこの時こそはつくづくと感じた。)

 その階段の道をやっとの事降り切って、公園のような場所にたどり着くと、遊歩道の案内標識が立っていて、布引の滝の入口に来た事が分った。水辺の森を一回り見物していたら、丁度12時になったので、木造の六角形の展望台の椅子テーブルで、昼食の弁当を食べてから休憩をした。

 初夏の涼しい風が吹き抜ける中で、冥想をしながら軽くまどろんでいたら、森の木々のざわめきやリズミカルな野鳥の鳴き声が耳に飛び込んできた。
 肉眼の私の目には見えない妖精たちが、梅雨草の草葉の陰や、大輪の野草の花びらや、しだれ柳の枝に停まったり、せせらぎの水辺に水浴びをしたりしていたのは、きっと夢だったのだろう・・・。
 遠くで犬の鳴き声が聞こえて来た。この世に引き戻されて目が覚めた。午後13:00に成っていたので、家内と軽く夢の話を楽しんでから布引の滝を見に行った。

 木組みの階段と回廊が滝まで続いていた。滝に近付くにつれて水の音が激しくなって来た。回廊の両脇に迫り来る断崖絶壁が、永年流れ落ちた水の浸水による年月の威力を見せ付けている。

 幾つかの曲がりくねった階段の回廊を進むと、午後の日の光をきらきらと浴びた、滝のしぶきがダイヤモンドの宝石の、美しい砂粒のように舞い降りてきた。この世のものとは例えがたい、神秘の力を封じ込めた一連の水の帯は、まるで風に吹かれる白妙の布を引いたように神々しく、天から降り注ぐ光と影を映し出していた。


        

 滝壷は、まだまだ出来たばかりの浅い水溜りだったが、これからの悠久の年月を経て行くと、陶陶とした紺碧の水を称えた巨大な滝壷へと生まれ変わって行くことだろう。高低差20メートルという、決して大きくは無い滝だが、巨大な自然の力の片鱗と不思議を十分に感じさせる気品溢れる美しい滝で有った。

 布引の滝をゆっくり見て、満足して重富の車道に下り、白銀坂入口側の国道10号線に出ると、車の騒音がやたらとうるさく感じられた。
 重富側の白銀坂入口には、公共駐車場が設けられていて、10台ほどの車が停まっていた。先ほど下り道ですれ違った人達の車だろうと考えながら、しばらく休憩を取った後で、白銀坂入口から帰りの登り坂の道程に挑んだ。
 帰り道は流石に急な上り坂だけに、言葉も無く息を切らせて登った。下り坂の景色と同じなのだが、同じ風景でも随分違って見える。様々な新たな発見をしながら白銀坂を登り切ると、清々しい五月の風が山の背を渡り吹いていた。 それから2日後の今日も、太ももやふくらはぎが筋肉痛で、キーボードを打つ手も幾分重い気がした。 ---「白銀坂」完。

写真・文章/さだひろし
鹿児島市内からの白銀坂入口は、島津ゴルフクラブの入口から約500m入った所に有ります。:↓

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重富の白銀坂上り口:↓

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